コミュ障を克服するために必要なこと

<私とコミュ障>

 コミュ障は私と切っても切り離せない関係にある。幼いころから私は人見知りの傾向であった。知らない人と話すことはもちろん、同級生でも話したことのない人と話す時は相当臆病になっていた。さらに致命的なことに私は話したい話題を提供することが苦手であった。勇気をもって話しかけたとしても話が続かず、お互い気まずい雰囲気になることが多かった。

 このように私はコミュ障であった。私自身もこのコミュ障を直そうと考えていた。そこで、なぜ治すことができないのか、何をすれば治すことができるのかについて考察した。本記事ではこれらについての考察を述べていきたいと思う。

<コミュ障の原因は経験値>

 コミュ障の原因は行きつくところ「なぜ話すことができないのか」という疑問にたどり着く。話すという基本的なことができているのであれば、おのずと人と話せるためコミュ障から抜け出せるはずである。そこで、この項ではなぜ話せないのかについて考察する。

 話せない原因は話した経験が非常に少ないことに起因する。ここでいう話す経験とは、自ら人と話しかけて会話をしようとした経験のことを指す。経験がなければ、当然人と話すことは困難を極める。試験を例に考えてみるとわかりやすい。試験でいい成績をとるには試験の分野の問題を解く経験を多く積むことが求められる。もしあなたが問題を一問も解かないで試験に臨んだのであれば、経験が不足している以上良い成績をとることが難しいのは明白である。自分から話す経験をもたないで話すのは、レベル1の状態でトレーナーと戦うことと同じくらい、無謀で困難を極める行為である。逆に言えば、よいコミュニケーションをとるには経験を積むことが重要である。

 ここでさらに一歩踏み込んで、なぜ話す経験を得られないのかについて考えてみる。見知らぬ人に話すという行為は、それまで自分が知っておる人間関係の領域から一歩踏み出す行為である。それゆえ、相当な勇気が要求される。これは自分自身に変化を要求するため、非常に大きなストレスがかかるからである。例えばバンジージャンプは安全地帯から崖の下へと自分の居場所を変化させる必要がある。そのため、安全地帯から抜けるという変化を受け入れる必要がある。自ら話しかける行為は、まさに安全地帯(既存の人間関係)から崖の下(未知の人との関係)へ移ることでもある。このように考えると、話す経験を得ることができないのは、勇気を持っていないからだということがわかる。つまり、コミュ障を直すためには胆力を鍛え、勇気を持つことが重要である。

<ではどのようにして解決するべきなのか?>

 以上のように考えるとコミュ障を直すために必要なことは、メンタルを鍛え、経験を積むことであると考えられる。それでは、この2つを実行するためにはなにをすべきなのだろうか。この項ではその問いについて考察を行っていく。

 勇気を鍛える方法としては、メンタルに負荷のかかる行為を常日頃から選択するのが最適である。メンタルに負荷をかけることで、変化に慣れてそれを受け入れる勇気を養うことができる。例として、あなたが本を買いに本屋に酔ったときについて考えてみよう。あなたは次の2種類の本のうち1冊を選ぶことができる。1冊目は自分が大学で研究した分野に関する本であり、もう1冊は自分が全く学んだことのないような分野の本である。もしいつものあなたであれば、楽な選択肢である前者の方を選択するであろう。しかし、コミュ障を直そうとメンタルを鍛えようとしているあなたであるならば、あえて後者の方を選ばなくてはならない。後者の方はなじみがないため読むことに大きな抵抗感を抱きやすい。しかし、この本を選ぶことによって自分の領域の外から出て新たな知識を得ることできる。これはまさに勇気を得るために必要なプロセスに一致している。このように日常の些細な選択から、自分のメンタルに負荷のかかる方を選び取ることが重要である。

 勇気を鍛えたら、あとはひたすら場数を踏めばよい。ここで注意しなくてはならないのは、あまり話したことのない人とのコミュニケーションを積極的に図らなければならないということである。これはコミュ障を直す目的を考えれば自明である。あまり話したことのない人と話せるようになるには、当然見知らぬ人と話す経験を多く積まなくてはならない。とすれば、鍛えた勇気をもって知らない人とのコンタクトをとることをしなくてはならないのは明白である。

<まとめ>

 コミュ障は勇気と場数さえ踏めれば誰でも治すことができる。そのためには以上に述べたようなことを実践する根性がなくてはならない。「論語読みの論語知らず」という言葉に代表されるように、知っているだけでは理解しているとは言えない。ぜひ実践に移し、コミュニケーション能力の解消に励んでほしい。